【選手名鑑】坂口智隆-献身的にチームに尽くすベテランヒットマン。「構成員」の異名を持つも、素顔は心優しい青年

坂口智隆
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ツバメinfoの選手名鑑特集。坂口智隆は東京ヤクルトスワローズの外野手。主に外野手、一塁手として活躍している。献身的にチームに尽くし、どんな役割も買って出る必要不可欠なベテランヒットマン。オリックス時代は一部ファンから「坂口構成員」と呼ばれるほど打席で鋭い眼光を放っていたが、素性は心優しい好青年。現役でプレイする数少ない近鉄戦士。右投左打。

基本情報

選手名:坂口 智隆(さかぐち ともたか)
利き手:右投左打
ポジション:外野手、一塁手
生年月日:1984年7月7日
年数:18年目
出身地:兵庫県明石市
来歴:-神戸国際大付高‐近鉄・オリックス(02年1位-15年)‐ヤクルト(16年-)
身長体重(公称):181㎝82㎏

推定年俸

1億1500万円(2019年から年俸変動制の3年契約)

背番号

27(2003-04)
52(05-09)
9(10-15)
42(2016-)

2019年

22試合 .125(64-8) 0本塁打 2打点 0盗塁 出塁率.263 OPS.404

通算

1382試合 .282(4992-1408) 29本塁打 380打点 81盗塁 出塁率.351 OPS.707

登場曲

「Your Turn」lecca

獲得タイトル

最多安打(2011年)
ゴールデングラブ賞(4回。2008-11)

寸評

2016年3月29日神宮球場にて(公式フォトギャラリーより引用)
2016年3月29日神宮球場にて(公式フォトギャラリーより引用)

オリックス時代はイカつい風貌と打席での鋭い眼差しから「坂口構成員」と、反社会組織の一員かのようなおっかない愛称がついていたものの、素顔は心優しい好青年。

チームメイトの 近藤一樹 とともに、現役でも数少ない近鉄戦士(この2名と、岩隈久志(巨人)のみ)。

チームメイトの 雄平 (高井雄平)は1984年生まれの同級生で、雄平の代わりのハズレ1位として近鉄に指名された因縁がある。今は背番号もポジションも隣同士の仲良しコンビ。

2019年は開幕からカードの阪神戦から手首に死球を食らい、負傷離脱する不運で、怪我明けのチーム合流後も状態が上がらず、苦しいシーズンとなり、年俸も2500万円ダウンの1億1500万円で更改した。

最多安打のタイトルと打率について

2011年には175安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得しているが、統一球の影響もあったのか、打率は3割を切った。

オリックス時代の坂口は早打ちのスタイルで、安打数の割に打率や出塁率が高くなかったが、ヤクルト移籍後は四球や出塁率が向上している。

※参考 94年のタイトル制定後、最多安打を獲得しながら打率3割を切った打者

01年 石井琢朗(横)
171安打 打率.295

06年 大村直之(ソ)
165安打 打率.294

08年 片岡易之(西)
167安打 打率.287(栗山巧との同時受賞)

11年 坂口智隆(オ)
175安打 打率.297

球界屈指の守備範囲を持つ中堅手

坂口の武器は、前述の積極的な打撃とともに、守備範囲の広い外野守備だ。
2008年に初めてゴールデングラブ賞を獲得すると、2009年にはリーグトップの14捕殺を記録。外野手での捕殺がシーズンで2桁の捕殺を記録するのは異例だ。

2011年にはフルイニング出場をしながら、失策0で守備率1.000を達成。

ヤクルトに移籍してからは自ら一塁の守備を買って出る機会が増えたが、チーム事情から途中から外野守備に移動しても、堅実な守備を見せた。

球歴

プロ入り前

神戸国際大付属高時代はエースとして活躍。2001年春の甲子園選抜大会では同校を初の甲子園出場に導く。

2002年ドラフト会議では高井雄平(雄平=現ヤクルト)を抽選で外した大阪近鉄バファローズに1位指名され、入団。プロ入り後は投手から外野手に専念することになる。

近鉄・オリックス時代

1年目の2003年からウエスタンリーグで3割をマークするなど存在感を表し、1軍の公式戦でもプロ初ヒットを記録する。

入団2年目のオフに近鉄とオリックスの球団合併によるオリックスと楽天の分配ドラフトでは、入団2年目以内の選手特例措置としてオリックスに分配される。

2007年にはシーズン途中から1番中堅として起用され、2008年にはレギュラーに定着。この年初めてゴールデングラブを獲得した。2011年には初めてフルイニング出場を果たし、初の打撃タイトルとなる最多安打(175安打)を獲得。

翌2012年からは打撃不振と怪我に悩まされ、2008年から4年間続いていたゴールデングラブ賞の受賞もストップ。2013年からは選手会長に就任するも、状態は停滞したままだった。

2015年には長年痛めていた右肩の故障の影響でレギュラー定着後最低の36試合の出場にとどまり、球団から減額制限を超える大幅な減俸を提示される。坂口はこれを拒否し、自由契約となり移籍先を探すことになる。

ヤクルト移籍

坂口が自由契約となった2015年オフ、ドラフトで補強ポイントだった外野手として高山俊(現阪神)の獲得に失敗し、坂口との契約に合意。年俸は3,000万円で、前年7,500万円から50%を下回る金額であった。背番号は「42」。

ヤクルト移籍1年目の2016年から141試合に出場し、155安打を記録するなど存在感を示す。特にオリックス時代の同僚・大引啓二 との1番・2番コンビは2人の苗字「”大”引」と「”坂”口」の頭文字をとって、「”大阪”コンビ」として機能した。

2018年はシーズン前にチームのレジェンド・青木宣親 がメジャーリーグからの電撃復帰を表明し、外野手争いが混沌とすることになる。これに対し、坂口は自身の出場機会増加と、チーム事情を考慮して一塁手へのコンバートを自ら小川淳司監督に申し出る。慣れない一塁守備を無難にこなしながら、打撃でも自身8年ぶりの打率3割をマークするなど、献身的な姿勢が評価されて、同年オフから年俸変動制の3年契約を結び、年俸1億4000万円と、オリックス時代以来の1億円プレイヤーに返り咲いた。

2019年はシーズン開幕の阪神戦で左手に死球を受け、骨折での離脱となった。復帰を焦ったのか、復帰後も中々状態が上がらず、シーズンを通して不本意なシーズンとなってしまった。その間に一塁には 村上宗隆 が定着し、自身は本職である外野守備に就く機会が再び増えた。

バレンティン がソフトバンクに移籍した2020年は、外野手としての出場機会の増加が見込まれる。

応援歌♪

歌詞

不屈の魂で 再び挑み
新たな歴史を刻め 見せろ坂口

MIDI

コメント

オリックスから自由契約でヤクルトに移籍した濱中治(2011年に在籍)の流用。歌詞は変更されている。

外部リンク

http://npb.jp/bis/players/21925117.html(NPB)

https://www.yakult-swallows.co.jp/players/detail/20199(ヤクルト公式)

http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)

https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト球団公式フォトギャラリー)

脚注

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2020年6月5日更新
執筆者:yoshi-kky