【選手名鑑】近藤一樹-百戦錬磨のベテランリリーバー。夏の甲子園V右腕-

近藤一樹
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ツバメinfoの選手名鑑。近藤一樹は東京ヤクルトスワローズの投手。主にリリーフとして活躍している。ダイナミックなフォームと多彩な変化球で打者に対峙する、百戦錬磨のベテランリリーバー。01年夏の甲子園で全国制覇を達成した。右投右打。

基本情報

選手名:近藤 一樹(こんどう かずき)
利き手:右投右打
ポジション:投手
生年月日:1983年7月8日(36歳)
年数:19年目
出身地:神奈川県相模原市
来歴:日大三高‐近鉄・オリックス(01年7位-16年途中)‐ヤクルト(16年途中-)
身長体重(公称):183cm80kg

推定年俸

6,700万円(単年契約)

背番号

65 (2002-2010、2015-2016)

11(2011-2012)

50(2013-2014)

125(2015)

70(2016-2018)

20(2019-)

成績

2019年

59試合 3勝3敗19H0S 53.0回 54K ERA3.57

NPB通算

327試合(102先発) 43試合56敗69H3S 823.1回 646K ERA4.49

獲得タイトル

最優秀中継ぎ投手(2018年)

主な球種

ストレート、スライダー、フォーク、カーブ

登場曲

「Fight Together」安室奈美恵

「Bella Ciao」Hardwell&Maddix

寸評

2019年8月17日、神宮球場にて(公式フォトギャラリーより引用)
2019年8月17日、神宮球場にて(公式フォトギャラリーより引用)

ダイナミックなフォームと多彩な変化球で打者に対峙する、百戦錬磨のベテランリリーバー。プロ入り19年間で6種類の背番号を経験している。

オリックス在籍時は先発を主戦場としていたが、移籍を機にリリーフに専任してこれがハマり、2018年に初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手(42HP)を受賞。2019年は3年連続の50登板をクリアするも、勤続疲労か球威が落ちて打ち込まれるシーンが目立った。

アマチュア時代には日大三高3年時に夏の甲子園制覇を経験。坂口智隆、岩隈久志(巨人)と共に現役で残った3人の近鉄戦士の一人である。

全国制覇を経験した日大三高時代

日大三高時代には内田和也(01年ヤクルト4位)、千葉英貴(01年横浜6位)、都築克幸(01年中日7位)らと共に2001年夏の大会で全国制覇を経験する。大会での活躍が評価され、同じ高校から4人が同時にプロ入りすることになるが、これはドラフト史上最多タイ記録である。

打撃優位のチームとあってプロからのスカウトはそこまで高かったわけではないが、この4人の中では最も長いプロ野球生活を送ることになる。高校時代の投球を見ていると、ものすごい球を投げるわけではないが、今と変わらず非常にテンポの良いピッチングで、マウンド上で笑みを浮かべる姿も多く見られ、野手が試合に乗っていきやすいタイプのピッチャーであった。

最後の近鉄戦士

同僚で1歳下の、坂口智隆(02年1位)と、岩隈久志(99年5位)と共に、大阪近鉄バファローズで経験したことのある数少ない現役のプロ野球選手である。

最後の生き残りが誰になるか。年齢とポジション的には坂口が有利だが、近藤も一年でも長く近鉄戦士としての魂を受け継いでほしいところだ。

1球で達成したプロ初セーブ

2017年6月30日の阪神戦(甲子園)で、クローザーを務めていた、秋吉亮(現日本ハム)がセーブシチュエーションの2死で2ストライクという状況の中で突然の負傷降板をした。スクランブル状態でマウンドに上がったのが近藤一樹で、打者を空振り三振に仕留めて1球でプロ初セーブをマークした。1球セーブと1球奪三振を同時に達成したのは、プロ野球史上初めてのことだった。

ブルペンでキャッチボールすらしていないと状況というスクランブル登板で、記録づくめの初セーブを記録した。実に近藤らしいエピソードだが、2018年にはチームも好調でセーブ機会で投げるシチュエーションも増えて、2セーブを記録している。

職質を受けやすい自称「雑魚キャラ」

オリックス時代は2桁勝利を達成した実績のある近藤だが、右肘の怪我に悩まされてからは「谷間の先発」や「ロングリリーフ」をこなす機会が多かった。

ヤクルト移籍後はセットアッパーとして最優秀中継ぎ投手を獲得する活躍をすることになるが、「自分はセットアッパーではない。ただの雑魚キャラ」と謙遜する。

プロ入り後、再三警察からの”職務質問”を受けることがあったようだ。オリックス時代に2度、ヤクルト時代に1度職質を受けた。名前のあるプロ野球選手としては考えられないことだが、それだけ話しかけやすいオーラがあるということだろう。

ピッチングの方では威力のあるストレートと変化量の多い多彩な変化球で打者を翻弄する、れっきとした「強キャラ」である。

降板時にはマウンドで野手をお出迎え

マウンドで小気味いいテンポで投げ込むのもさることながら、リリーフで降板時には必ず守っていたナインをハイタッチで出迎える姿が見られる。バックで守っている野手への信頼と感謝を表しているのだろう。

近藤が状態の良い時にチームも躍進する原因のひとつであると考えている。今季はコロナ感染拡大防止の影響で、グラウンドでのハイタッチ防止が求められているが、無失点で抑えた後に野手を出迎える近藤の姿が見られる光景は変わらないだろう。

球歴

プロ入り前

近鉄・オリックス時代

近鉄時代の2年目・03年には一軍デビューし、翌04年にはプロ初先発も経験する。球団合併による分配ドラフトで4年目の05年よりオリックスバファローズに移籍。

08年にはシーズンを通して初めて一軍のローテーションで先発し、自身初の規定投球回・二桁勝利(10勝7敗)と飛躍の1年になった。金子千尋(11勝)、小松聖(15勝)、山本省吾(10勝)と共に10勝カルテットを結成し、チームの2位躍進に大きく貢献した。

日本ハムとのクライマックスシリーズでは初戦先発の大役を任されたが、ダルビッシュ有に投げ負けるかたちでチームもストレートで敗退してしまった。

その後もローテーション投手としてまずまずの活躍を続けるものの、2011年に右肘のネズミ除去の手術をすると、その後もシーズンオフの度に手術をするなど満足な投球ができなくなる。14年オフに育成契約にシフトするも、15年早々に支配下契約に復帰。同年は4年ぶりの勝利をあげるなど10試合に登板して復活の兆しを見せる。

16年シーズン途中の7月にヤクルト・八木亮祐と1対1の交換トレードでヤクルトに移籍。背番号は八木が背負っていた「70」。

近藤も八木もローテーション投手として通年活躍した実績があるものの、怪我で伸び悩み、新天地で再起を期すことになったが、八木はオリックスでの登板は1試合に終わり、17年限りで引退することになった。

ヤクルト時代

ヤクルト時代は先発としての経験を活かしてロングリリーフでの起用が主で、17年開幕当初は先発登板が予定されていたものの、雨天中止で回避された。同年はビハインド場面での登板が主だったものの、好投を続けて首脳陣の信頼を掴み、6月30日の阪神戦(甲子園)でプロ初セーブもマークした。

18年はセットアッパーとしての役割と期待され、球団記録タイの74試合に登板し、42HP(7勝35H)は球団新記録で、リーグトップ。初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手を獲得した。プロ入り17年目にしてリリーバーで輝きを放ったこのシーズンは、近藤にとっても球団にとっても飛躍の1年となった。同年オフに引退した山本哲哉が着けていた中継ぎエースの背番号「20」を継承。

応援歌♪

歌詞

闘志燃やして攻めろよ 投打に輝き放て

勝利をその手で 掴み取れ

「ゴーゴーレッツゴー!近藤!」

MIDI

プロスピA評価

羽ばたくように投げる。前年まで投げられていたシュート回転しながら沈むチェンジアップは剥奪された。

変化球レベルは高くないが、スライダーやフォークなどのブレーキの利いた球種の変化量が大きい。そのため、自分で操作するとよく打たれるが、他人が操作すると打ちづらい投手。

外部リンク

http://npb.jp/bis/players/91795115.html(NPB)

https://www.yakult-swallows.co.jp/players/detail/12140(ヤクルト公式)

http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)

https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト公式フォトギャラリー)

脚注

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2020年6月9日更新
執筆者:yoshi-kky