【選手名鑑】五十嵐亮太/ヤクルト-日米を渡り歩いた中継ぎ一筋のベテランリリーバー-

五十嵐亮太
Pocket

ツバメinfoの選手名鑑。五十嵐亮太は東京ヤクルトスワローズの投手。主にリリーフとして活躍している。日米を渡り歩いた中継ぎ一筋のベテランリリーバー。勝ちを呼び込む「持ってる男」。右投右打。

基本情報

選手名:五十嵐 亮太(いがらし りょうた)
利き手:投打
ポジション:投手
生年月日:1979年5月28日(40歳)
年数:20 年目(ほかMLBで3年間プレー)
出身地:北海道留萌市
来歴:敬愛学園高‐ヤクルトスワローズ(1997年2位)‐メッツ‐パイレーツ‐ブルージェイズ‐ヤンキース‐ソフトバンク‐東京ヤクルトスワローズ
身長体重(公称):178cm95kg

推定年俸

4,000万円(単年契約)

背番号

53(1998-2009、2013-)

成績

2019年

45試合 5勝1敗4H0S 42.1回 33K ERA2.98

NPB通算

822試合 65勝39敗163H70S 866.0回 920K ERA2.93

MLB通算

83試合 5勝2敗4H0S 73.0回 72K ERA6.41

日米通算

905試合 70試合41敗167H70S 939.0回 ERA3.20

獲得タイトル

最優秀救援投手(2004年)

最優秀バッテリー賞(2000年、捕手は古田敦也)

月間MVP(2004年7月、2014年7月)

※2014年はリーグ最多Hだったが、連盟受賞の最優秀中継ぎ投手は最多HP(H+勝利数)の佐藤達也が受賞した。詳しくはこちらの記事にて。

主な球種

ストレート、フォーク、ナックルカーブ、カットボール

登場曲

「Skull and crossbones」Klaus Badelt

寸評

2019年3月20日、神宮球場で登板する五十嵐亮太(公式フォトギャラリーより引用)
2019年3月20日、神宮球場で登板する五十嵐亮太(公式フォトギャラリーより引用)

リリーフ一筋で日米を6球団を渡り歩いたベテランリリーバー。2019年より10年ぶりに古巣ヤクルトに復帰。年を重ねて、カーブなどで緩急を使った技巧投球を見せるも、力で押す基本的なピッチングスタイルに変わりはない。公式戦での先発登板は0。

NPB通算20年は山崎勝己(オリックス)、内川誠一(ソフトバンク)と並び現役最長。MLB時代の3年間を含めるとNPBの現役選手で最も長くプロでプレイしている選手である。40歳という年齢はチームメイトの 石川雅規 と同い年のチーム最年長で、球界3番目の年齢(1位は福留孝介、2位は山井大介)。

持ってる男

2019年は10年ぶりに古巣ヤクルトへ復帰となり、開幕から一軍で投げ捲り、4月だけで5勝をあげた。五十嵐が登板すると勝ち星が転がり込んでくると噂され、「勝ち運を持ってる男」と評判だった。

この年に限らず、プロ入りしてから公式戦で先発登板を1度もしていないにも関わらず、NPB通算65勝(2019年シーズン終了時点)をあげている。特に2000年は前半戦のみでリーグトップの11勝をあげ、1988年の伊東昭光以来の中継ぎ登板のみでの最多勝も視野に入っていたが、故障離脱によりタイトル獲得はならなかった。

一般的にテンポの良い投球が味方の反撃に繋がるというが、五十嵐もテンポの良い投球と、小気味いい速球で抑える姿が味方の奮起を呼ぶのだろう。

本人は自らを「持ってる男」と称し、無名高校から良い指導者に巡り合えたこと、好きな球団(ヤクルト)に入れたこと、一年目からファーム選手権MVPに選ばれたことなど、自身が幸運であることをアピールしている。幸運の自覚と、周囲への感謝も勝利を呼び込む要因なのかもしれない。

“ロケットボーイズ”石井弘寿との縁

五十嵐亮太は最速158キロを計測し、当時もっとも160キロに近い男と言われていた。(後に由規、大谷翔平らが160キロを計測)

同時期にリリーフとして活躍した 石井弘寿 も同じパワーピッチャーで、2002年には公募によりロケットボーイズとの愛称がついた。

2018年オフにヤクルトへの10年ぶり復帰が決まったが、かつて左右の剛腕投手として共に闘った両者も、長い時が経って今は一軍投手コーチと一軍投手の関係。衰え知らずのベテランは、かつて共闘した石井弘寿投手コーチのサポートを力に、投げ続ける。

背番号53への愛着

2000年は56試合に登板し、11勝(4敗)をあげる活躍を見せ、同年オフにエースナンバー「11」への変更を打診されたが、五十嵐は背番号53に愛着を感じ、これを拒否した経緯がある。

芳しい成績を残せなかったメジャー球界ではたくさんの背番号を背負ってきたが、日本球界では「53」以外を背負ったことはない。

2018年オフに復帰となった時は、背番号「53」への愛着とともに、球団が背番号を用意してくれたことの配慮を感謝するコメントを出している。

日米通算1,000試合登板

五十嵐はNPB通算822登板(日米通算905登板)を記録しているが、これは現役最多で、通算でも7位(日米通算だと4位)の記録である。

移籍1年目の契約更改となった2019年オフには、日米通算1000試合を達成したいとの目標を語った。

ヤクルト復帰となった同年は39歳にして45試合に登板をしたが、このペースで行くと2022年には日米通算1,000登板、2024年にはNPB通算1,000登板を達成する計算になる。

40歳を超えてこのペースを維持するのは厳しいかもしれないが、NPB史上唯一1,000試合登板を達成した岩瀬仁紀は43歳、44歳のシーズンで98試合に登板している。左右のタイプの違いはあれど、五十嵐ならば十分に可能な数字だろう。

球歴

プロ入り前

北海道の留萌市、札幌市で幼少期を過ごしたあと、千葉県のシニアチームを経て敬愛学園高校に進学。

高校入学時に古橋監督から地肩の強さに目をつけられ、投手への転向を勧められる。体が細いのに、高校生なら90メートルあればいいという遠投を110メートルまで投げた。

無名の敬愛学園高校ながら、五十嵐の素材は際立っており、高校3年時の夏に同地区の名門・習志野高校を打ち破った。

高校3年間で甲子園出場はなかったものの、1997年ドラフトでヤクルトから2位指名を受け、入団する。

ヤクルト時代(~2009年)

1年目の1998年は一軍登板はなかったものの、ファーム日本選手権でMVPを獲得する。

1999年に一軍デビューし、中継ぎのみの登板ながら36試合で6勝(4敗)をあげると、翌2000年には11勝(4敗)をあげ、一躍中継ぎ投手の柱となる。

2002年から2004年まで3年連続60試合登板を達成するとともに、2004年には高津臣吾退団後のクローザーに任命され、37セーブで最優秀救援投手(現最多セーブ投手)のタイトルを獲得した。

2006年は状態が上がらず、トミージョン手術を受けることを決断し、2007年はシーズン丸々欠場することになる。

2008年には見事復活を果たし、2009年にはセットアッパーとしてチームの支柱となり、初のクライマックスシリーズ出場に大きく貢献する。同年オフにFA権を行使してメジャー移籍を表明。

MLB時代

2009年オフ、ニューヨーク・メッツと契約。メッツではこれまで投げていなかったカーブ(ナックルカーブ)を習得するなど試行錯誤が続いたが、2011年オフにFAとなった。

2012年はピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶも、その後トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースと渡り歩くがメジャー登板は僅か4試合に終わった。ヤンキース時代は黒田博樹、イチローと同僚となった。

ソフトバンク時代

2012年オフに日本の福岡ソフトバンクホークスと契約合意。3年契約で総額6億円(推定)の契約となった。

メジャーで覚えたナックルカーブを武器にセットアッパーやクローザーとして安定した成績をあげ、2013年から2015年まで2度の日本一に貢献し、3年契約終了時には年俸が3億5,000万円(推定)まで上昇した。

チームが日本一に輝いた2017年オフは契約を1年延長したものの、2018年は椎間板ヘルニアの影響で23試合の登板にとどまる。この年限りでソフトバンクから戦力外通告を受け、自由契約となる。

ヤクルト復帰(2019年~)

2018年オフに古巣・ヤクルトとの契約合意が発表され、背番号は以前つけていた「53」を沼田拓巳から譲り受けるかたちとなった。年俸は2,000万円(推定)。

かつてのリリーフエースの復帰に興奮するヤクルトファンの前で、4月から5勝をあげる活躍をする。通年でもピッチャーが常に不足している状況のなか、難しい局面を投げ続け、45試合に登板するなど期待以上の活躍をあげる。同年オフに倍増の4,000万円で契約更改。

応援歌♪

歌詞

闘志燃やして攻めろよ 投打に輝き放て

勝利をその手で 掴み取れ

「ゴーゴーレッツゴー!亮太!」

MIDI

備考

2000年ごろ発売された球団公式の応援歌CDには城友博の応援歌メロディーが流用されていた。

「勝利を掴めよ お前のその手で 自慢の右腕 決めろ剛速球」

外部リンク

https://npb.jp/bis/players/91193886.html(NPB)

https://www.yakult-swallows.co.jp/players/detail/11606(ヤクルト公式)

http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)

https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト公式フォトギャラリー)

脚注

選手名鑑トップ
2020年6月12日更新
執筆者:yoshi-kky