2020年セリーグ6位からの逆襲を狙う高津ヤクルトには「3つの教え」が生き続けている。野村克也の死から早1年、ヤクルトが春季キャンプを行う浦添には14年ぶりに古田敦也の姿があった。
目次
野村の教え

偉大な野球人の死からあっという間に1年が過ぎた。
2021年2月11日、野村克也の一周忌を迎えたプロ野球界では連日ある男がメディアを騒がせていた。野村の教え子、古田敦也である。
古田がトヨタ自動車からヤクルトに入団したのは1990年、野村がヤクルト監督に入団したタイミングとちょうど重なる。
古田にとってのプロ野球人生とは、野村にとっての監督人生でもあった。野村は勝手を知る南海時代に選手兼任監督の経験があったものの、専任監督としてはヤクルト監督に就任した1990年が初めての采配。同時期に入団した古田は扇の要として野球の全てを徹底的に叩き込まれた。
古田はベンチで常に野村の前に陣取っていたというのは有名な話で、野球の技術から始まり、勝負の哲学や人生論において全て古田の血肉となった。
野村の教えは古田に継承され、現在も野球界に生き続けているのである。
古田の教え

古田のヤクルト入団から31年後、現役引退から長らく現場を退いていた古田がグラウンドに戻ってきた。
きっかけは2020年末に高津監督が古田のほんの会話の一言だったという。臨時コーチとしてグラウンドに戻ってきた古田は55歳にして圧倒的な存在感を放っていた。
高津監督のインタビュー。キャンプは順調にきている。(古田臨時コーチについて)軽いノリで言ったら二つ返事で受けてくれて、驚いた。僕自身も忘れかけていたこと、改めて思い出させてくれる。青木と村上については、開幕に合わせてくれればいい。(注目選手は)皆しっかり準備してくれている。
— ツバメinfo2 (@tsubame_info_2) February 6, 2021
蘇る古田捕手

古田が向かったのは、自身が現役時代に座り続けたキャッチャーボックス。
古田が現役時代にバッテリーを組んだ唯一の現役選手である石川雅規の球を受けると、続けざまに小川泰弘、奥川恭伸らの球も受けた。
投手の球を受けると、打撃投手、ノッカー、講師とあらゆる姿に切り替わりながら、どこにいてもカメラのレンズを浴び続けた。
ブルペンで石川雅規の球を受ける古田敦也臨時コーチ。放送席で「27番の前任」大矢明彦さんが見守る #swallows pic.twitter.com/7WUbrMpPFH
— ツバメinfo2 (@tsubame_info_2) February 6, 2021
カメラのインタビューに応じた古田臨時コーチ「(石川投手の球を受けて)意外と言ったら失礼だが、良い球が来ていた。
— ツバメinfo2 (@tsubame_info_2) February 6, 2021
誰か受けてくれてと言われて、球速的に石川かなーと(笑)30球ほど受けた。石川にも良い刺激になってほしい。手痛いなーと思って、俺こんなんずっとやってたんやって。」 #swallows pic.twitter.com/KA1Xm3sEKN
古田のメディア論

古田は現役時代に積極的にメディア露出を行った。
その積極性も野村の教えのひとつだったようで、プロ野球選手はファンに顔を覚えられてなんぼの商売であるから、だという。
現役引退してから14年間、古田はユニフォーム姿ではなくスーツ姿でテレビカメラの前に姿を表すことが多かった。
この浦添キャンプでも古田の姿はテレビカメラをとことん意識していた。
中村悠平ら、捕手陣を指導する際にはカメラを意識して円陣を組む。「エラーしたら罰ゲーム」というゲーム形式の練習はメディアの注目を大いに集めた。
現役を退いた後にメディアへの露出が多かったということもあるだろうが、こういった行動の背景には野村の教えが影響しているに違いないだろう。
古田がユニフォームを着る日は来るか

2月11日、1週間の指導を終えて古田がチームから去った。扇の要として捕手の定位置奪還を狙う中村悠平をはじめ、多くの選手の刺激になったことは間違いない。
それにしても、圧倒的なカリスマ性だった。臨時コーチとしながらも随所に指導に励むなど活躍を見せ、メディアへのパフォーマンスも欠かさない姿も見せた。その姿勢は選手にとってはもちろん、首脳陣の参考にも大いになるだろう。
実際、高津監督も古田臨時コーチの講演を聞き、自分でも忘れている部分があったとするように、その教えはチーム全体に響いたに違いない。
さて、古田が次に指導者として活躍する時期はいつになるだろうか。
個人的な見解だが、今オフにも正式にユニフォームを着る可能性は高いんじゃないかと思う。
古田は現役時代晩年にはフロントの確執も一部噂されるなど、フロントとの関係も順風満帆とはいえない。
しかし、高津監督が声をかけたところ2つ返事で快諾を得たというように、古田の現場復帰へのハードルは我々が思っているほど高くないのかもしれない。
今オフ、ヤクルト球団からの正式なオファーがあれば、ヘッドコーチ格としての入閣、あるいは次期監督候補として何らかのポストが用意されることも十分に考えられるだろう。
もしかすると、来年の春季キャンプには背番号27が神宮に復活しているかもしれない。
青木の教え

最後に、ヤクルトの系譜を語るうえで欠かせない男が背番号23「終身名誉キャプテン」こと青木宣親だ。
青木がヤクルトに入団したのは2004年。当時監督を務めていた若松勉氏のもと、新人王、首位打者として瞬く間に球界を代表するリードオフマンへと成長した。
古田監督の下でも2年間プレーし、6年間のメジャーでの活躍を引っ提げて2018年にヤクルトへ復帰。2021年からは新たに3年契約を結び、39歳にしてなおヤクルトの中心打者であり続けている。
孤高の天才バットマンは、海を渡って頼れるキャプテンへと変貌した。2020年は名実ともにキャプテンとしてチームをまとめあげ、同年オフにキャプテンの座を山田哲人に譲り渡すことに。
コロナ禍で厳しい情勢が続く中でも、大きな声をあげてチームを引っ張っていたのは青木だった。野村や古田のようなID野球のイメージは青木に薄いかもしれないが、チームをまとめあげる力は脈々と受け継がれている。
青木が目指すは自身にとって経験のないセリーグ優勝、そして日本一だ。
2021年ヤクルトの注目ポイント

2021年のヤクルトは通算2171安打の天才バットマン・内川聖一の加入が話題になっている。
内川はキャンプがはじまると、ひょうきんなキャラクターと野球に打ち込む姿勢であっという間に選手やファンの注目を引き込んだ。過去を振り返ると、他球団を自由契約になった選手がヤクルトで再生するのもヤクルトの伝統といえるだろう。
しかし、ヤクルトの伝統を語るうえで欠かせない「野村の教え」「古田の教え」そして「青木の教え」がある。これらを結実させれば、1990年代の野村ヤクルトのような黄金期が再び到来するかもしれない。
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脚注
2021/02/12
野村さんが亡くなられてからもう1年ですか。時間の経過とは早いものです。
「野村の教え」、何と言っても一番の継承者はやはり古田なのでしょうね。
でも、教え子監督が他にもゾロゾロ。高津、矢野、与田、辻、石井一、栗山、ジャパンの稲葉。
全部とは言わなくとも、教えを受け継いでいってほしいです。
「古田の教え」、そんな古田にはやはり現場復帰を期待したいです。
投手陣のみならず、捕手陣にもいい影響を与えてほしい。
「青木の教え」、山田哲人にいい影響を与えてくれているのだと思います。