青木宣親から山田哲人へ、そして山田哲人から再び青木宣親へ。
2023年現在、青木が着けている23番はチームを代表するレジェンドが歴史を作ってきた番号です。
ヤクルトの背番号23は球団史における出世番号の1つとされています。背番号23の歴史を振り返りましょう。
ヤクルト歴代背番号「23」一覧
年度 | 着用選手 | 備考 |
---|---|---|
1950 | 山口礼司 | 外野手 |
1952 | 木下雅弘 | 捕手 |
1953~1954 | 安居玉一 | 通算1298安打。 |
1955~1956 | 松橋義喜 | 捕手 |
1957~1967 | 飯田徳治 | 通算1978安打。1957年盗塁王 南海→国鉄 1966~67年にサンケイ監督 |
1968~1976 | 簾内政雄 | 通算9勝右腕 |
1977 | 槌田誠 | 通算107安打 ヤクルトには1年のみ在籍 |
1978~1982 | 柳原隆弘 | 通算142安打 |
1983 | 萩原康弘 | 通算217安打 ヤクルトには1年のみ在籍 |
1984~1990 | 酒井圭一 | 通算215登板リリーフ |
1991 | 石橋貢 | 通算85安打 ヤクルトには1年のみ在籍 |
1992~1997 | 増田政行 | 通算36登板 |
1998 | 白井康勝 | 通算143登板。ヤクルトでは登板なし |
1999 | バチェラー | NPB7登板 |
2000~2001 | 藤井秀悟 | 通算83勝左腕。 01年最多勝 |
2003 | 戎信行 | 通算15勝。ヤクルトには2年のみ在籍 |
2004~2009 | 青木宣親 | 200安打2度達成のヒットメーカー |
2011~2015 | 山田哲人 | ミスタートリプルスリー |
2018~ | 青木宣親 | 帰ってきたレジェンド |
ヤクルトの出世番号
ヤクルトの背番号23は新人が着用後に別の番号に変更するという「出世番号」となっているケースが多いです。
国鉄スワローズ黎明期に着用した安居玉一さんは5球団を渡り歩き、国鉄には2年間在籍。国鉄時代は217安打をマークし、通算1298安打を記録した2リーグ時代黎明期の大打者です。
1957年からは南海ホークスから移籍した飯田徳治さんが着用。国鉄には7年間在籍して通算1978安打をマーク。引退後にはサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の監督も務めました。
その後の「23」はしばらく移籍選手や外国人選手が着用する番号でしたが、2000年より藤井秀悟さん(1999年ドラフト2位=早稲田大)が着用。藤井さんは2年目の2001年に14勝をマークして最多勝を記録してチームの日本一に貢献。
活躍が認められて2002年より背番号を「18」に変更しました。
ツバメのレジェンド

2004年から青木宣親選手(2003年ドラフト4位=早稲田大)が着用。藤井さんの大学の後輩でもあった青木選手は2年目の2005年にイチローさん以来史上2人目の202安打をマーク。
その後も首位打者3度、2度目の200安打を達成するなど球史に残る歴史を引っ提げて2010年に「ミスタースワローズ」の称号でもある背番号「1」に変更しました。
その青木の後継者となったのが山田哲人(2010年ドラフト1位=履正社高)選手。
山田選手は4年目の2014年に193安打を放って最多安打のタイトルを獲得。翌2015年には最優秀選手、最多本塁打、最多盗塁など数々のタイトルを総なめしてチームのリーグ制覇に貢献。史上唯一3度達成した「トリプルスリー」は山田選手の代名詞でもあります。
球史に残る大活躍をした山田選手は2015年オフに背番号を「1」に変更。背番号23を引き継いだ青木選手と同じ道を歩むことになりました。
新たな時代を

青木と山田が23を背負った後、2年間「23」は空白の番号に。
再びツバメの23を背負ったのは「帰ってきたレジェンド」でした。
7年間をアメリカで過ごした青木選手は2018年からヤクルトに変更。
新たな背番号として選んだのはかつて自身が愛用した「23」でした。
数々の偉業を成し遂げた青木選手も2023年シーズンで41歳、3年契約の最終年を迎えます。
山田キャプテンが率いるチームは青木・山田コンビの活躍もあって2021・22年とリーグ連覇を達成。
迎える”23″年は球団史上初のリーグ3連覇を目指します。
山田選手の応援歌「行け山田 新たな時代を」のごとく、新たな時代を歩み続けていけるでしょうか。
脚注
2023/01/03