#11ヤクルト歴代背番号「11」一覧|若きエース奥川恭伸や剛腕荒木大輔、由規ら「世代を背負うエース」

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ヤクルトの歴代背番号11を紹介。

歴代を振り返っても荒木大輔や由規ら甲子園のスター投手が背負ってきた番号です。

2022年現在背負っている奥川恭伸も甲子園準優勝投手で、2年目から9勝をあげるなど将来のエースへ期待が膨らむ投手です。

歴代背番号「11」一覧

鳴り物入りで入団するも、怪我に苦しんだ由規(佐藤由規)。

歴代背番号11で初めて2桁勝利をあげたのは1957年の田所善治郎投手。

その後も勝ち頭となる投手に背負われてきた11番ですが、一躍脚光を浴びたのは「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔投手でした

1950~1951成田啓二
1954~1964田所善治郎
1965~1969村田元一
1970~1978西井哲夫
1979~1982神部年男
1983~1995荒木大輔
1997~1999伊藤彰
2003~2005坂元弥太郎
2006高津臣吾
2007遠藤正隆
2008~2015由規(佐藤由規)
2016~2018由規(佐藤由規)※
2020~奥川恭伸

※育成選手として「121」番を経由。

世代を背負うエース

1982年オフに入団した荒木大輔投手は早稲田実業高校時代に甲子園のスター投手で、「大ちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こした投手でした。

甲子園のスターだった荒木ですが、巨人とヤクルトの競合でヤクルト入りしてからは度重なる怪我に苦しみます。

それでも、リハビリを乗り越えてマウンドにあがった荒木は1992年、1993年のチーム2連覇に貢献。1993年の日本シリーズでは勝利投手にもなりました。

通算180試合で39勝49敗。

荒木の退団後は高津臣吾(現ヤクルト監督)が1年限りで背負うなど、移籍組が背負って安定しない時代が続きます。

2008年に入団した由規(佐藤由規)は仙台育英高時代に当時の高校生最速となる157キロを引っ提げ、ドラフトで5球団競合(ヤクルト、楽天、中日、横浜、巨人)の末にヤクルトへ入団。

プロ入り後は1年目から活躍し、3年目には2桁勝利となる12勝をあげますが、その後は故障に苦しみ、育成選手も経験しました。

2020年に入団した奥川は星稜高でチームを準優勝に導く活躍。実績を引っ提げて3球団競合(ヤクルト、巨人、阪神)でヤクルトに入団。

1年目は1試合登板に終わりますが、2年目の2021年は9勝をあげる活躍。

ポストシーズンではクライマックスシリーズMVPに輝き、日本シリーズでも初戦を任されて7回1失点の好投(勝ち負けつかず)を見せるなどチームの中心投手として活躍しました。

ツバメのエースナンバー

okugawa
20歳ながらチームの中心選手として活躍した奥川恭伸。

当サイトで行ったヤクルトのエースナンバーに関するアンケートの結果では、11番が選ばれました。

2022年現在背負っている奥川の影響が大きいようです。

荒木と由規は怪我に苦しむことも多かったという歴史がありますが、奥川は中10日登板で慎重な起用が続き、奥川も結果を残しています。

参考

https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/company/media_guide/number_list

脚注

2022/1/13