「ツバメ史上最強の助っ人」は誰か?ヤクルト外国人野手編、バレンティン、ペタジーニ、ラミレス、ハウエル

バレンティン
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東京ヤクルトスワローズ史上最強の外国人助っ人を考察、今回は野手編。ヤクルトは代々、外国人スカウトの手腕が評価されている。NPBレコードの60本塁打を記録した大砲「バレンティン」や、3球団を渡り歩いて2000本安打を達成。後にDeNAの監督を務める名助っ人「ラミレス」も、NPBデビューはヤクルトだった。

最強助っ人は「勝利の女神がほほ笑む」NPBレコードホルダー・バレンティン。

バレンティン
バレンティン(2018年8月26日、250号本塁打を達成)

数多くの優良助っ人外国人がプレイしたヤクルトだが、「最強」といえば2013年に日本記録の60本塁打をマークし、コンスタントに好成績を残したウラディミール・バレンティン一択だろう。2011年の来日から2019年まで在籍し、2020年からは活躍の場をパリーグの福岡ソフトバンクホークスに移している。顔の形がココナッツに似てるから、「ココ」の愛称でも多くのファンから親しまれ、記憶に新しいファンも多いだろう。

在籍9年間で8度の30本塁打をマーク。NPBデビューから3年連続の本塁打王、1度の打点王などコンスタントに活躍した。特に2013年の活躍ぶりはとてつもなかった。同年に開催されたWBCに出場した影響で出遅れながらもNPB最高の60本塁打、長打率.779、月間18本塁打(8月)をマークし、あわや三冠王の大活躍。顔付近のボール球すらホームランにしてしまい、「ハイパーバレンティン」と呼ばれる状態で、チームは最下位ながらMVPを獲得する史上初の例となった。記憶にも記録にも残る助っ人と言えよう。

ヤクルトには2011~2019年の9年間在籍したが、優勝経験は1度(2015年)。しかし、その年は怪我でシーズンのほとんど離脱しており、戦線にようやく復帰したのは9月中盤になってから。奇しくも在籍期間で唯一出場100試合を割った(15試合)年がチームの優勝という年になってしまった。優勝の美酒を味わい、2018年には142試合に出場して打点王を獲得した実績があるものの、チームの勝利に明確に貢献した助っ人とは言い難い。

ウラディミール・バレンティン(2011-2019)
1002試合 .273(3513-959) 288本塁打 763打点

次点はラミちゃんこと「ラミレス」か?愛妻家「ペタジーニ」か?二冠の大砲「ハウエル」か?

では、バレンティンに次ぐ第二の「最強助っ人」は誰か?通算成績で言えば、2007年に200安打を達成した「アレックス・ラミレス」に軍配があがるが、優勝に貢献したという意味では1992年にMVPを獲得した「ジャック・ハウエル」、2001年にMVPを獲得した「ロベルト・ペタジーニ」も捨てがたい。

「ゲッツ」のパフォーマンスなど陽気な性格でファンからも愛され、現在でも日本で活躍している「ラミちゃん」

ラミレスは01年に来日し、03年にはペタジーニが去った後の4番に座り、本塁打王に獲得。その後も07年まで長く活躍し、本塁打王1度、打点王2度、最多安打2度の名プレイヤーだった。07年には右打者として初めて200本安打を達成した球史に残る名バッターである。ファンを喜ばせる陽気な性格で、本塁打を記録した後の「ゲッツ」のパフォーマンスが度々メディアに取り上げられ、ファンにも愛された、グラウンド内外で活躍した。

07年にヤクルトを退団後は読売、DeNAと渡り歩き、日本の独立リーグでもプレー。後にDeNAの監督に就任し、チームを19年ぶりに日本シリーズにも導いた”名将”としても活躍することになる。

言うまでもなく勝負強い打撃で素晴らしい実績を残した名プレイヤーなのだが、早打ちのプレイスタイルで、安打数の割に四球が非常に少なく、出塁率が4割を超えたシーズンはNPB通算でも一度もなかった。また、外野の守備も平均以下の成績で、総合的な貢献度で言うと疑問符がつくところである。

通算成績:アレックス・ラミレス(2001-2007)
982試合 .301(3934-1184) 200本塁打 752打点

寡黙な優等生スラッガーで、25歳年上のオルガ夫人を溺愛する愛妻家「ペタジーニ」

一方でペタジーニは99年に来日すると、来日初年度から日本の野球に順応し、MVP1度、本塁打王2度、打点王1度の輝かしい成績を残した。私生活では「友人の母親」であったという25歳年上のオルガ夫人を溺愛する愛妻家としても知られていた。

長打力だけでなく選球眼にも優れており、在籍4年間すべてで出塁率は4割を超え、418四球は7年間在籍したラミレスの171四球の倍以上である。一塁手部門のゴールデングラブを3度獲得するなど、守備の名手でもあった。

以上の理由から、総合力という観点でペタジーニがヤクルト史上第二の最強助っ人に推したい。私事だが、プロ野球を見始めた頃に勝負所で本塁打を量産してファンを魅了し、私がヤクルトファンになったきっかけである人物でもある。ヤクルト有数の黄金時代である野村克也監督政権から若松勉監督への過渡期のチームを支え、松井秀喜との熾烈な打撃タイトル争いは多くのプロ野球ファンを魅了した。

ちなみにこのラミレスとペタジーニは同じベネズエラ出身で、01~02年にヤクルトでの在籍が被っている。ただ、メジャーでの実績は3歳下(公称。ラミレスには一部年齢詐称の報道が出ているが真偽は不明)のラミレスが上回っており、ラミレス本人もNPBには出稼ぎ感覚で来日したと言う。

しかし、蓋を開けてみるとラミレスは当初日本の野球に順応できず、苦戦する。メジャーでは格下だったペタジーニが抜群の成績を残すのをしり目に、自身は特に外国人右打者特有のアウトコースへ逃げるスライダーを苦手とする、いわゆる”外スラクルクルマン”になっていた。ただ、この体験から日本野球の配球等を熱心に研究するようになり、ヤクルトを退団した後も選手や指導者として長く活躍する原点になっていたように思う。

甲乙つけがたい両者の成績だが、ベネズエラ出身という共通点がありながら真逆の性格とプレイスタイルで、両者とも球史に残る助っ人であることには違いない。

通算成績:ロベルト・ペタジーニ(1999-2002)
539試合 .321(1852-595) 160本塁打 429打点

1992年優勝に貢献したサヨナラ男「ジャック・ハウエル」

1992年に来日したジャック・ハウエルもヤクルトの助っ人野手を語るうえで外せない存在だろう。ハウエルは来日当初、日本の野球に順応できずに苦しんだ。しかし、同年7月にサイクルヒットを記録し、気を良くしたのか後半戦に打棒が大爆発。打率.331と38本塁打で首位打者と最多本塁打に輝き、阪神タイガースとの熾烈な優勝争いを制する原動力となり、14年ぶりのリーグ優勝に貢献し、MVPも獲得した。

翌1993年にマークしたシーズンサヨナラ本塁打5本、サヨナラ安打5本はいずれもNPB記録である。

通算成績:ジャック・ハウエル(1992-1994)
389試合 .293(1146-336) 86本塁打 231打点

宿敵との因縁

聡明なヤクルトファンの読者ならお気づきだと思うが、この3名「ハウエル」「ペタジーニ」「ラミレス」にはある共通点がある。在籍時に日本一に貢献するほどの実績を残したあと、同リーグ同地区の東京に本拠地を構える”目の上のたんこぶ”こと宿敵・読売ジャイアンツに多額の契約金を提示されて、引き抜かれるようなかたちで移籍している。

しかし、移籍後に2度のMVPや主要打撃タイトルを獲得し、複数球団を渡り歩いて2000本安打も達成したラミレス(達成当時はDeNA)はともかく、ハウエルやペタジーニは読売の水に合わなかった。彼らは読売時代は期待外れの成績に終わり、活躍の場を海外に移すことになった(ペタジーニはその後日本の福岡ソフトバンクホークスや韓国プロ野球でもプレー)。

グラウンド内外でファンを賑わせた助っ人

元祖・優良助っ人「デーブ・ロバーツ」

ヤクルトの元祖優良外国人といえば「デーブ・ロバーツ」だろう。
1967年、チーム名がまだサンケイアトムズだった頃に入団すると、1973年まで在籍。

タイトル獲得、リーグ優勝には縁がなかったものの、在籍7年間で出場778試合、181本塁打王は後にラミレス、バレンティンが塗り替えるまで長年ヤクルト史上最多記録だった。

68・69年には巨人・王貞治と本塁打王を争うも、怪我による離脱で惜しくもタイトル獲得とはならなかった。長きにわたって優良外国人として活躍し続け、「日本人以上の日本人」とも称されたほどの人格者でもあった。

通算成績:デーブ・ロバーツ(1967-1973)
778試合 打率.277(2709-750) 181本塁打 485打点

ホーナー旋風で日本を席捲した「ボブ・ホーナー」

「記録よりも記憶に残った選手」で、1987年の所属1年で強烈なインパクトを残したのはホーナー旋風を巻き起こした「ボブ・ホーナー」だろう。

当時メジャーリーグ通算215本塁打で、移籍前年も27本塁打を記録した「バリバリのメジャーリーガー」。

1978年から9年間在籍したアトランタ・ブレーブスとの残留交渉がまとまらず、1987年シーズン開幕直前にヤクルトスワローズへの電撃入団が決まった。

同年5月5日の阪神戦でデビューすると、いきなり本塁打を記録すると、翌6日には1試合3本のアーチをかけた。オールスターにも選出され、日本プロ野球で「ホーナー旋風」を席捲した。

同年限りでヤクルトを退団し、メジャーリーグに復帰することになり、1年弱の在籍ながらも強烈な印象を置き土産に日本を去ることになった。帰国後、「地球のウラ側にもうひとつの野球があった」などと、宇宙飛行士のようなことを言いだして物議をかもした。

当時、フィジカル面ばかり注目されることがあったメジャーリーガーだが、データ野球を重んじる「頭を使う野球」をしていたという。引退後の1993年にヤクルトのユマキャンプに臨時コーチとして招聘されたが、当時監督をしていた野村克也氏が、「データ野球を重んじる、俺と同じ考え方だ」と舌を巻くほどであった。

通算成績:ボブ・ホーナー(1987)
93試合 .257(206-53) 31本塁打 73打点

史上最悪の”クソ外国人”「ジョー・ペピトーン」

スカウトが優秀なのか、ヤクルトのファミリー的な雰囲気が働きやすい環境なのか、多くの優良外国人が活躍してきたヤクルトだが、史上最悪の”クソ外国人”はコイツだろう。

ペピトーンはメジャー通算219本塁打の実績を引っ提げ、1973年シーズン途中に来日すると、夫人との離婚裁判や、怪我を理由に僅か14試合のみの出場に終わった。度重なる怪我は「仮病ではないか」との見方もあり、グラウンド外での素行がとにかく酷かった。

契約上仕方なく2年目のシーズンを迎えることになったが、来日すらせず、任意引退選手として日本を去ることになった。

ペピトーンは帰国後も度々日本を批判する発言を続け、日米間の野球界において国際関係にまで発展しかねない勢いだった。引退後もコカインの不法所持や銃刀法違反、飲酒運転など繰り返し逮捕され、度々メディアを騒がせたトラブルメーカーであった。ここまで酷いと、助っ人云々以前にコイツの人間性の問題に思えてくるが、以降外国人をスカウトする際に素行をチェックするようになったという意味では、最高の反面教師になったのかもしれない。

通算成績:ジョー・ペピトーン(1973-1974)
14試合 .163(43-7) 1本塁打 2打点

その他、記憶に残る名助っ人

長年優良外国人を発掘することに定評のあったヤクルトだが、1978年の初優勝に大きく貢献した「チャーリー・マニエル」、1995年MVP「トマス・オマリー」、1997年本塁打王「ドゥエイン・ホージー」、2007年から5年間在籍し、空間を歪める能力があるという都市伝説も囁かれた、奇跡を呼ぶ男・魔将「アーロン・ガイエル」など、まだまだ強烈なインパクトを残した外国人は数知れない。

彼ら成功者に共通するのは、日本の野球への順応し、性格的にも「ファミリー軍団」と言われるヤクルトスワローズのカラーに合っていたのではないだろうか。

タイトルホルダー

※野手のみ。連盟表彰のみ記載。

パリッシュ:最多本塁打(1989)

ハウエル:MVP(1992)、首位打者(1992)、最多本塁打(1992)

オマリー:MVP(1995)、最高出塁率(1995)

ホージー:最多本塁打(1997)

ペタジーニ:MVP(2001)、最多本塁打(1999、2001)、最多打点(2001)、最高出塁率(1999、2001)

ラミレス:最多本塁打(2003)、最多打点(2003、2007)、最多安打(2003、2007)

バレンティン:MVP(2013)、最多本塁打(2011~2013)、最多打点(2018)、最高出塁率(2013、2014)

https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/company/media_guide/award

歴代助っ人リストと主要成績

※成績はヤクルト在籍時代のみ。日本人に帰化した松元ユウイチと佐藤ツギオは含まれていない。

<データの見方:試合数 打率(打数-安打) 本塁打 打点>

ルイス・ジャクソン(1966-1969)
329試合 .257(1201-309) 68本 181打点

ローマン・マヒナス(1966)
30試合 .288(52-15) 0本 4打点

デーブ・ロバーツ(1967-1973)
778試合 打率.277(2709-750) 181本塁打 485打点

ボブ・チャンス(1969-1970)
277試合 .261(447-121) 22本 72打点

ジャービス・テータム(1971)
31試合 .192(254-59) 1本 9打点

アルト・ロペス(1972-1973)
243試合 .264(775-205) 25本 100打点

ジョー・ペピトーン(1973-1974)
14試合 .163(43-7) 1本塁打 2打点

ロジャー・レポーズ(1974-1977)
.267(1601-428) 110本 260打点

チャーリー・マニエル(1976-1978、1981)
406試合 .290(1335-387) 35本 268打点

デーブ・ヒルトン(1978-1979)
251試合 .284(971-276) 38本 128打点

ジョン・スコット(1979-1981)
279試合 .262(1010-265) 48本 159打点

サム・パラーゾ(1980)
118試合 .269(473-133) 15本 43打点

デビッド・デントン(1982)
42試合 .207(82-17) 1本 5打点

ラリー・ハーロー(1982)
110試合 .164(110-18) 4本 12打点

ダン・ブリッグス(1982-1983)
176試合 .258(581-134) 18本 68打点

ボビー・マルカーノ(1983-1985)
346試合 .290(1277-369) 52本 206打点

クリス・スミス(1984-1985)
68試合 .202(178-36) 5本 18打点

※レオン・リー(1986-1987)
250試合 .310(936-290) 56本 170打点
(※ロッテに在籍し、通算打率.320の当時日本記録を樹立したレロン・リーは実兄。レオン・リーはロッテ・大洋・ヤクルトで通算10年間日本でプレー)

マーク・ブロハード(1986-1987)
140試合 .265(505-135) 23本 69打点

ボブ・ホーナー(1987)
93試合 .257(206-53) 31本塁打 73打点

ダグ・デシンセイ(1988)
84試合 .244(291-71) 19本 44打点

テリー・ハーパー(1988)
10試合 .143(35-5) 2本 6打点

ラリー・バリッシュ(1989)
130試合 .268(493-132) 42本 103打点

ドウェイン・マーフィー(1990)
34試合 .229(109-25) 5本 22打点

ジョニー・レイ(1991-1992)
159試合 .269(568-153) 13本 64打点

ジャック・ハウエル(1992-1994)
389試合 .293(1146-336) 86本 231打点

ジョニー・パリデス(1992)
53試合 .242(157-38) 3本 12打点

レックス・ハドラー(1993)
120試合 .300(410-123) 14本 64打点

ジェラルド・クラーク(1994)
99試合 .293(376-110) 20本 53打点

トーマス・オマリー(1995-1996)
252試合 .308(882-272) 43本 184打点

ヘンスリー・ミューレン(1995-1996)
258試合 .245(877-215) 54本 147打点

ルイス・オルティス(1997)
20試合 .172(29-5) 0本 7打点

ジム・テータム(1997)
173試合 .309(139-43) 13本 25打点

ドゥエイン・ホージー(1997-1998)
244試合 .274(815-218) 51本 142打点

ライル・ムートン(1998)
30試合 .241(87-21) 3本 12打点

エリック・アンソニー(1998)
44試合 .245(151-37) 12本 31打点

ロベルト・ペタジーニ(1999-2002)
539試合 .321(1852-595) 160本塁打 429打点

マーク・スミス(1999)
98試合 .259(293-76) 20本 55打点

トーリ・ロブロ(2000)
29試合.197(66-13) 1本 2打点

アレックス・ラミレス(2001-2007)
982試合 .301(3934-1184) 200本塁打 752打点

トッド・ベッツ(2003)
112試合 .287(408-117) 15本 52打点

ビリー・マーチン(2004)
71試合 .241(162-39) 6本 18打点

アダム・リグス(2005-2008)
316試合 .281(1133-318) 59本 168打点

グレッグ・ラロッカ(2006)
103試合 .285(379-108) 18本 63打点

アーロン・ガイエル(2007-2011)
441試合 .234(1411-330) 90本 239打点

ウィルソン・バルデス(2008)
29試合 .256(78-20) 1本 8打点

ジェイミー・デントナ(2009-2010)
217試合 .263(685-180) 36本 133打点

ジョシュ・ホワイトセル(2010-2011)
180試合 .274(529-145) 27本 86打点

ウラディミール・バレンティン(2011-2019)
1002試合 .273(3513-959) 288本 763打点

ラスティング・ミレッジ(2012-2015)
255試合.272(965-262) 39本 129打点

ミッチ・デニング(2015-)
64試合 .222(194-43) 4本 22打点

ジェフン(2016)
17試合 .225(40-9) 0本 2打点
(※漢字表記・河載勲=ハ・ジェフン。退団後に韓国プロ野球で投手として活躍中)

ディーン・グリーン(2017)
25試合 .194(72-14) 2本 8打点

カルロス・リベロ(2017)
54試合 .215(200-43) 6本 21打点

アルシデス・エスコバー(2020-)
※新加入

外部リンク

https://www.yakult-swallows.co.jp/photo/detail/29184

(スワローズ フォトギャラリー、バレンティン選手が通算250号)

脚注

2020/05/18更新

yoshi-kky