ツバメinfoの選手名鑑。ラミレスはかつて東京ヤクルトスワローズでプレイしていた外野手。現在は横浜DeNAベイスターズの監督を務めている。通称ラミちゃん。代名詞は「ゲッツ」などのパフォーマンスでお馴染み。NPB通算2017安打380本塁打。2019年1月には日本人に帰化、日本国籍を取得した。右投右打。
目次
基本情報
選手名:アレックス・ラミレス(Alexander Ramirez)
利き手:右投右打
ポジション:外野手
生年月日:1974年10月3日(45歳)
出身地:ベネズエラ
来歴:インディアンス‐パイレーツ‐ヤクルト(2001-2007)‐巨人(2008-2011)‐DeNA(2012-2013)‐BC群馬(2014)‐DeNA監督(2016-)
主な年俸推移(推定)
2001:5500万円
2002:9000万円
2003:1億4500万円
2004:2億円
2005-2007:3億円(3年契約)
2008-2011:5億円
2012-2013:3億5000万円
背番号
3(2001-2007、2012-2013)
5(2008-2011)
成績
ヤクルト通算
(2001-2007)
982試合 .301(3934-1184) 200本塁打 752打点
NPB通算
(2001-2013)
1744試合 .301(6708-2017) 380本 1272打点 20盗塁 出塁率.336 OPS.859
獲得タイトル
MVP(2008、2009)
首位打者(2009)
最多本塁打(2003、2010)
最多打点(2003、2007、2008、2010)
最多安打(2003、2007、2009)
ベストナイン(2003、2007、2008、2009)
登場曲
「シャナナ☆」MINMI
「The final countdown」Europe
寸評
在籍13年間でNPB助っ人史上最多の2017安打を誇る史上最強助っ人の一人。
ヤクルト時代は当初粗が目立つも徐々に弱点を克服し、率も長打も残せるバッターへと変身した。2007年には助っ人史上初、NPB史上でも3人目(イチロー、青木宣親以来)となるシーズン200本安打を達成。現役時代はファンと喜びを分かち合うために始めたという「ゲッツ」や「アイーン」のパフォーマンスでお馴染みだった。守備はちょっぴり苦手。
ヤクルト退団後は巨人、DeNAでプレーし、外国人選手として史上初めて2000本安打も達成した。引退後は群馬BCのシニアディレクターを経てDeNAの監督に就任。2017年にはチームを19年ぶりの日本シリーズに導いた。
ゲッツ
ラミレスの現役時代を知るファンは「ゲッツ」や「アイーン」などのパフォーマンスの印象が強いだろう。
NPB通算380本の大砲(外国人ではタフィ・ローズに次ぐ歴代2位)は、ファンを喜ばせるパフォーマンスを考えたところ、当時流行していた日本の芸能人・ダンディ坂野の一発芸を採用した。一度やってみたところ、ファンの反響が思いのほか好評だったそうで、ラミレスの代名詞にもなった。
このパフォーマンスはヤクルト退団後も続いたが、DeNA監督就任後は選手より目立ってはいけないという考えで、パフォーマンスを封印している。
クレバーな一面
ファンを喜ばせるための「ゲッツ」などのパフォーマンスで陽気なイメージのあった現役時代だったが、同時に配球を読んで打つなど、クレバーな一面も目立った。
来日当初は力任せのスイングで三振を喫する場面も目立ったが、日本の野球に順応するごとにキャッチャーの配球傾向を読むようになり、チャンスの場面で広角に安打を放ち、打点を荒稼ぎするようになった。
語学についても堪能。公な場面では通訳を通じて英語を使っているが、時折耳にする日本語の発音は非常に流暢で、英語の発音も日本人に聴きやすいように喋る。この他、母国であるスペイン語も扱える。
ヒゲ
ヤクルト時代はトレードマークだったヒゲも巨人移籍後は球団の方針に倣って綺麗に剃り落としている。巨人退団後もしばらくはヒゲなしの姿だったが、2020年シーズンからは再びヒゲを生やしている。すっかり白くなったヒゲを見ると時間の流れを感じざるを得ない。
球歴
来日前
ベネズエラでプレイ中、インディアンズのスカウトからマイナー契約を打診され、契約。
1998年にメジャーデビュー。2000年途中にパイレーツにトレードされ、このシーズンは84試合で9本塁打の数字を残す。同年オフにヤクルトと契約。メジャー通算135試合86安打12本塁打48打点。
ヤクルト時代
ラミレスは01年に来日し、7番レフトとして1年間出場し、29本塁打88打点の好成績でチームの日本一に貢献も、来日当初はアウトコースのスライダーに弱く、2年目の2002年にはリーグトップの146三振を喫するなど粗も目立った。
03年にはペタジーニが退団した後の4番に座り、最多安打と最多本塁打、最多打点を獲得。ペタジーニの穴を見事に埋める活躍を見せた。
03年から07年まで5年連続100打点以上、05年から07年まで3年連続全試合出場と安定した活躍を続ける。課題だった三振の多さも年々解消されていき、07年には史上3人目、外国人打者としては初めてシーズン200本安打(204安打)も達成した。
ファンを喜ばせる陽気な性格で、本塁打を記録した後の「ゲッツ」のパフォーマンスが度々メディアに取り上げられ、ファンにも愛された。
2007年オフはヤクルトとの契約交渉がまとまらず、自由契約となり、同リーグの読売ジャイアンツ(巨人)に移籍。
ヤクルトはラミレスが希望していた複数年契約を打診できず、加入1年目で最多勝などのタイトルを総なめにしたグライシンガーの残留交渉に注力した。しかし、結局両者との残留交渉に失敗し、ライバルチームの巨人にみすみす主力を2人も移籍させる羽目になってしまった。
ヤクルト退団後
巨人に移籍した外人は代々成績を残せず苦しむ傾向があるが、ヤクルト時代の経験を活かして巨人という環境においてもMVP2回を受賞するなど主力級の働きを続けた。
2011年は故障と年齢、統一球の影響でやや成績を落とすと、若返りとディフェンス面の評価を図る首脳陣の方針に合致せず、同年限りで退団となった。同年オフに横浜DeNAベイスターズに移籍。
2012年はベイスターズにとって運営母体がDeNAに変わった元年のシーズンとなった。新チームの4番として19本塁打76打点の活躍をするが年齢による衰えは隠せず、2013年限りでDeNAを退団。
2014年からは独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスと選手兼コーチとして入団。同年限りで現役引退を発表。
2016年からは自身が選手時代に仕えた中畑清の跡を継いでDeNA監督に就任。日本プロ野球で外国人監督は2010年のブラウン以来史上9人目となる。
就任1年目から球団史上初のCS進出を果たすと、翌2017年には19年ぶりの日本シリーズに進出。2019年には日本人に帰化し、日本国籍を取得した。
応援歌♪
歌詞
(前奏:ここまで飛ばせよアレックス ホームランホームランラミレス)
かっとばせラミレス かっとばせラミレス
ホームラン ホームラン ホームラン ラミレス
「ゴーゴーレッツゴー!ラミレス!」
MIDI
コメント
ホージー(1997-1998)流用。ホージーと同じく日本一の栄冠と本塁打王を手にした。
演奏2巡目以降はキーが半音上がる。
プロスピA評価
ミートとパワーがデフォルトでAAになっているのは大きい。称号でミートパワーAA同値も可能。
3回登場しているが、キャリアハイとして扱われているのは204安打を記録した2007年ではなく最多本塁を獲得した2003年。
関連記事
外部リンク
https://npb.jp/bis/players/63165113.html(NPB)
http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)
https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト公式フォトギャラリー)
脚注
選手名鑑トップ
2020年6月26日更新
執筆者:yoshi-kky