(雑記):野手の投手起用について。肯定派

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8月7日の阪神対巨人戦(甲子園)で、内野手登録の増田大輝が投手で登板したことについて、ファンや評論家の中で物議を醸しており、私も便乗したくなったので取り扱ってみる。当サイトのメインテーマである「ヤクルトファンのための情報」という趣旨からは外れるし、私見をつらつら書きなぐるだけなので見出しもつけない。

まず、私の立場を明確にすると、私は「野手の投手起用」肯定派だ。肯定というよりも、ルール上認められた起用法に異を唱えることがナンセンスだと思う。

故・野村克也氏の言葉に「固定観念は悪、先入観は罪である」という教えがあるが、今回のケースにあてはめると、「野手の投手起用」「野手を投手で起用してはいけない」というのが固定観念であり、先入観であると言える。今回の増田の投手起用はその悪者を追い払ったかたちだ。

本職でない野手を登板させてはならない、という不文律(暗黙の了解)を打破することは、ともすれば堀内氏のような「伝統を蔑ろにしてはならない」という意見を呼び、非難の矢面に立たされることになる起用法だ。しかし、原監督も長年の采配で伝統とは遵守しながら、時には対立しながら戦ってきたわけで、今回の起用もこれを承知した上での起用となったわけだ。

今更述べることでもないが、野手を投手起用することの最大のメリットは、投手の消耗を抑えることができるという点だ。さらには、私のように物珍しいシーンを見たい現地のファンは大いに喜ぶし、マスコミも騒ぎ立ててPRにもなる。マウンドにあがった増田にとっても忘れられない経験となっただろう。良いことづくめの采配だ。

ヤクルトでは青木宣親がアストロズ時代に登板してジャッジを抑えるなど、イチロー以来の日本人野手の登板を果たしている。

さて、投手の野手起用を反対する者の意見は以下の通りになるが、これについての反論というか私見を述べたい。

・対戦相手に失礼

→打てない方が悪い。同じ状況になったらどんどん野手の投手起用をする土壌を作るべき

・お客さんに失礼

→私もそうだが、多くの観客は野手が投手登板するシーンに立ち会えることを喜ぶ。私の知人にも、増田の投手起用を現地で見れたことを嬉しそうに話すファンがいる。スタンドの観客全員が野手の投手起用に反対するわけではない。

・プロ野球のマウンドとは選ばれたもののみが立てる神聖な場所であり、野手が登板されることは許されない

→ルール上「野手は投手のための神聖なマウンドに上がってはならない」なんてものはないから無問題。

ちなみに、先に挙げた野村克也氏だが、1996年のオールスターで監督を務めた際にイチローをマウンドにあげた仰木監督の采配に対し、松井の名誉を守るために高津臣吾(現ヤクルト一軍監督)を代打に送っている。これは、他所の選手を預かる立場であった野村監督と、オールスターという試合だからこそ起きた采配だ。もし野村氏が2020年巨人の采配を振るっていたら、あの点差、公式戦で投手が疲弊しているという状況で、増田の投手起用はあったのだろうか。

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脚注

2020/08/15

yoshi-kky