ツバメinfoの選手名鑑。畠山和洋は東京ヤクルトスワローズのコーチ。現役時代は主に一塁手として活躍した。豪快なバッティングで多くのファンを魅了した和製大砲。愛称「ブーちゃん」「Boo」。右投右打。
目次
基本情報
選手名:畠山 和洋(はたけやま かずひろ)
利き手:右投右打
ポジション:一塁手、左翼手、三塁手
生年月日:年月日(歳)
年数:1年目(現役通算19年)
出身地:岩手県
来歴:専大北上高‐ヤクルト(2000年ドラフト5位)
身長体重(公称):180cm96kg
背番号
33(2001-2019)
85(2020-)
成績
NPB通算
(実働16年間)
1106試合 .266(3529-937) 128本567打点 出塁率.346 OPS.774
獲得タイトル
打点王(2015)
ベストナイン(2015)
ゴールデングラブ(2012、2015)
月間MVP(2015年6月)
登場曲
「黄金魂」湘南乃風
寸評
ヤクルト一筋で19年間活躍したヒゲ面の和製大砲。
愛嬌のあるキャラクターと豪快なバッティングフォームから繰り出される勝負強い打撃で多くのファンから愛されたが、2019年限りで惜しまれながらユニフォームを脱いだ。現在はヤクルト二軍打撃コーチとして後進の育成に努める。
練習嫌いの「Booちゃん」
長年ヤクルトの一軍監督を務め、二軍監督として長く畠山の指導にあたった小川淳司(現ヤクルトGM)をして「最も手を焼いた選手」と言わしめるほどの問題児であった。
高卒から入団してしばらくは2軍暮らしで、酒やギャンブルに興じる日々が続き、野球よりもパチンコに打ち込む姿が目立っていた。この態度に2軍首脳陣から目を付けられ、基礎体力をつけるための猛練習が課せられることになった。
入団8年目の2008年、中堅選手としての自覚が芽生えると、チーム内の競争に打ち勝つために重心を大きく落として構える独特のバッティングフォームを改良した。かつては「好きでやった練習はない」と言っていた練習態度もこの頃から自発的に取り組むようになる。
かつて練習嫌いの問題児とされてきた主砲も、現在は2軍で若手を育てる打撃コーチに。誰よりも練習を嫌うと共に、誰よりもチームに貢献するために練習した男は、一癖も二癖もある選手を一軍の舞台に羽ばたかせることだろう。
年俸900万円の4番打者
期待をかけられながら二軍暮らしが長く続いていた畠山だが、8年目の2008年には主力の怪我が相次ぎ、シーズン途中から4番打者に座るようになる。当時年俸900万円とされていた畠山は「年俸900万円の4番打者」として注目を集め、自己最多となる9本塁打をマークした。
年俸が3000万円(推定)までアップした2009年シーズンだったが、高年俸で入団した強打の外国人選手と一塁のポジション争いが続いた。畠山が生き残るために磨いたのは、和田一浩(当時中日)の教えからヒントを得たという、右打ちだった。それまで引っ張りの打球に定評のあった畠山だが、レギュラーとしてチームに貢献するために右打のバッティングを磨き続けた。
打席で構える際に腰を大きく落とし、大きく左足を上げるという独特のオープンスタンスを確立。どんな球でも広角に打球を飛ばせる打撃を習得し、2011年にはリーグ2位の23本塁打をマークし、チームを2位へ躍進させる。2015年にはチームをリーグ優勝に導く大活躍をした。
豪快なバッティングのイメージが強い畠山だが、強打者故のマークの強化や打撃不振にも苦しみ、ファンの期待に応えられない時期も長かった。2013年のロッテ戦でサヨナラ満塁本塁打を放った際には、久しぶりのお立ち台で「プロ13年目、(ハタケヤマではなく)働け山です…」と自虐を飛ばすシーンでスタンドの笑いを誘った。
畠山一族
豪快なヒゲと愛嬌のある丸顔でお馴染みの畠山和洋だが、ある男と瓜二つであると話題になった。ラグビー元日本代表の畠山健介氏だ。
両者とも同じ東北出身(健介氏は宮城県出身)は雑誌の企画で対面を果たした。互いに「そっくりさん」である両者だが、特に親戚関係というわけでもない。3歳上のヤクルト・畠山和洋が先に現役を退いた時にはTwitter上でエールを贈った。競技が違えど、健介氏には力強いプレーでまだまだ見る者を魅了していってほしい。
畠山和洋選手
— 畠山健介/Kensuke Hatakeyama (@Hatake_03) September 21, 2019
お疲れ様でした!
対談でご一緒出来て光栄でした!#畠山和洋#swallows #畠山界一の出世頭 #W畠山#Hatakeyama pic.twitter.com/CogwTzHp0Q
「みわくん」こと三輪正義との絆
チームのムードメーカー・「みわくん」こと三輪正義(現ヤクルト広報)とは現役時代から大の仲良し。ファン感謝祭では先輩の畠山が三輪をいじり倒すのが恒例となっており、時にはフリップ越しにKISSをするなど過激なパフォーマンスで観客を大いに喜ばせた。
そんな二人だが、2019年シーズン限りで同時にユニフォームを脱ぐことになった。ベンチ登録メンバーの都合か、直接セレモニーでの絡みはなかったが、お互いの引退試合で引退する勇姿をスタンドから見守るなど、最後まで強い絆で結ばれていた。2020年からは打撃コーチ、広報としてチームに貢献する。
球歴
プロ入り前
幼少期には家の近くの田んぼで木の棒と石ころを使って打撃練習をしていたという逸話がある。
岩手県の専修大学北上高校時代は1年夏と3年夏に甲子園出場。高校の1年後輩に梶本勇介。2000年ドラフト会議でヤクルトから5位指名を受け、入団。背番号は「33」。
プロ入り後
プロ4年目の2004年に一軍初出場と初安打を記録、5年目の2005年には初本塁打を記録した。
その後は長らく一軍定着できずにいたが、2008年頃に故障者が続出チームにおいて出場機会を増やす。5月頃からは4番打者に定着し、「年俸900万円の4番打者」として話題を集めるなど121試合に出場してブレイク。
以降はデントナやホワイトセルなど強打の外国人とポジション争いが続き、自身は慣れない外野守備につくシーンも目立つ。2011年には一塁守備と外野守備をかけもちしながら142試合に出場、オールスターにも初めて選出され、リーグ2位の23本塁打をマークした(1位は来日1年目のバレンティン)。
2012年以降は怪我や打撃不振で苦しむシーズンが続いたが、2015年にはバレンティンが負傷離脱した後の4番を務め、フルシーズン出場して105打点をマーク。自身初の打撃タイトルとなる打点王を獲得し、リーグ優勝に大きく貢献した。
一躍リーグ屈指の強打者となった畠山だが、2015年を最後にフルシーズン戦うことはなかった。下半身に負荷のかかる打撃フォーム故か、アキレス腱をはじめとする下半身の故障に泣かされ、2019年限りで多くのファンに惜しまれながらユニフォームを脱いだ。現役最終打席となった9月21日の中日戦では相手投手・柳の速球に食らいつき、畠山らしい渋い右打ちのポテンヒットで現役生活に幕を閉じた。
2020年からは二軍打撃コーチとして後進の育成に努める。背番号は「85」。
応援歌♪
歌詞
魅せろプライド 扉蹴破れ 更なる光へ向かって
胸に秘めたその想いを 空に放て
「かっとばせ!畠山!」
(旧歌詞):2015年まで使用
砕け白球 起こせ旋風 彼方の栄光目指し
闘志燃やし狙い定め 飛ばせハタケ
「かっとばせ!畠山!」
MIDI
旧作
勇猛果敢なスイングで 白球を砕く
畠山チャンスが来たぞ 未来を貫け畠山
「かっとばせ!畠山!」
プロスピA評価
2019年TS第4弾で登場。打点王を獲得した2015年モデル。称号でパワーを+2以上にできればパワーAに乗せることができる。
外部リンク
https://npb.jp/bis/players/31235113.html(NPB)
https://www.yakult-swallows.co.jp/players/detail/11992(ヤクルト公式)
http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)
https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト公式フォトギャラリー)
脚注
選手名鑑トップ
2020年8月10日更新
執筆者:yoshi-kky