[7]ヤクルト歴代背番号「7」一覧|球界のレジェンドから若手に継承される番号

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連覇で終わったヤクルトの2022年、ファン感謝DAYで長岡秀樹選手が背番号7に変更されるサプライズはスワローズファンを沸かせました。

ヤクルトで背番号7を背負ってきたのは球界を代表してきたレジェンドたちが勢ぞろい。2022年までは通算2186安打のヒットメーカー内川聖一選手が着用していた背番号7はバリュエーションに富んだラインナップとなっています。

ヤクルト歴代背番号「7」一覧

年度選手名備考
1950~1956中村栄内野手
1957~1962町田行彦1955年本塁打王、通算129HR
1963~1969豊田泰光通算1699安打のレジェンド
1970桑田武通算1112安打
1971~1972福富邦夫通算1076安打
1973~1974小田義人通算610安打
1975~1980福富邦夫通算1076安打
1981~1987渡辺進通算677安打
1990マーフィーMLB通算1360試合出場
1991~1992清家政和内野手
1993~1996橋上秀樹通算215安打
1997~1999小早川毅彦通算1093安打
2002~2003浜名千広通算811安打
2004マーチン外野手
2005~2013田中浩康通算1018安打
2021~2022内川聖一通算2186安打のヒットメーカー
2023~長岡秀樹将来担うヤングスワローズ
ヤクルト歴代背番号「7」一覧

背番号1や背番号27が「ミスタースワローズ」であるなら、ヤクルトの背番号7は球界のレジェンドが背負ってきた番号です。

近年では田中浩康選手が9年間着用、2021年から内川聖一選手が2年間着用していた背番号7はバリュエーションに富んだ選手が着用してきました。

国鉄スワローズ時代に7年間(1963~1969)着用していた豊田泰光さんは後にサンケイアトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)の監督も務めるなど、球界を牽引してきたレジェンドです。

豊田さんは西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に1953年入団、ベストナイン6度に輝く名プレイヤーとして君臨。1963年に国鉄へ入団すると、背番号7をそのまま着用しました。

1997年から3年間「7」を背負ったのは小早川毅彦さん。広島で1000安打も放った名プレイヤーでしたが、新天地のヤクルトで巨人の開幕投手・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放つなど存在感を発揮。「野村再生工場」の代名詞とされる存在でした。

2021年から2年間「7」を背負ったのは内川聖一さん。ソフトバンク時代に7度日本一を経験した「日本一請負人」はヤクルトに移籍後も存在感を発揮。一軍出場は多くなかった(ヤクルトでは15安打)ものの、後輩に惜しみなく助言を惜しみなく送ってチームの2連覇に陰ながら貢献しました。

長岡秀樹が背番号7を継承!

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2023年から背番号「7」を着用する長岡秀樹選手

内川の引退で空き番号となった「7」を新しく背負うことになるのは「ヤングスワローズ」長岡秀樹選手。

長岡選手は3年目の2022年、西浦直亨とのポジション争いを制すと自己最多の139試合に出場。長打力と守備範囲の広い守備を活かし、球団では2003年の宮本慎也さん以来となる遊撃手でのゴールデングラブ賞を獲得するなど優勝に大きく貢献しました。

長岡選手いわく、自主トレを共にする”師匠”中村晃(ソフトバンク)と同じ番号を背負いたかったとのことです。「打率3割」を目標に掲げ、新しい「背番号7」を相棒にチームを3連覇に導く活躍ができるでしょうか。

渡り鳥な選手の多い背番号7ですが、長岡選手には2005年から9年間背負ってきた田中浩康さん(現DeNAコーチ)のような息の長い活躍をしてほしいところです。

脚注

2022/11/29