#55 ヤクルト歴代背番号「55」一覧|「村神様」から必殺仕事人

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2022年9月13日、村上宗隆が日本人シーズン本塁打タイ記録となる55本塁打を達成!

スラッガーにとって「55」とは特別な数字であり、過去にも松井秀喜さんなど多くのスラッガーが着用してきた番号です。

ヤクルトでは2018年から「村神様」こと村上宗隆が着用。村上だけでなく、「必殺仕事人」杉浦享さんが若手時代に着用していた出世番号でもあります。

ヤクルト歴代背番号55

選手名着用期間備考
杉浦清1952~53
瀬野浄1957
中村修一郎19599へ変更
岩崎哲郎1960~61
小川幸一1962~63途中
佐藤一誠1963途中~65
ロバーツ1967
田口周1968~70二軍監督
杉浦享1971~779へ変更
田中毅彦1978~82
土井 武1983~88
関根毅1989~90
広瀬新太郎1991~92
岡幸俊1993~95
津川力1996~99
野口祥順2000~14
山川晃司2015~201769へ変更
村上宗隆2018~

ヤクルトにおける背番号55は村上以前に杉浦享さんが若手時代に着けていた番号です。
杉浦さんは22年間の現役生活で1434安打224本塁打、1978年の日本シリーズではサヨナラ本塁打を放つなど、球団初の日本一にも大きく貢献したツバメのレジェンドの1人です。
杉浦さんは「必殺仕事人」の応援歌でも有名でした。

2000年から15年間はドラフト1位で入団した野口祥順さん(現ヤクルト球団スタッフ)が長いこと着用。後述する松井秀喜さんの活躍により、背番号55は期待のルーキーに与えられる番号でありました。

2017年ドラフト1位で入団した村上宗隆も松井さんのようなスラッガーになることを期待され、55を着用。その後に日本野球の歴史を塗り替えるほどの大活躍は言うまでもないでしょう。

プロ野球における背番号55の名選手

「55」という数字は1964年に世界の王こと王貞治さんが記録したシーズン本塁打記録(当時)です。

2013年にバレンティン(60本)が記録を破るまで、その本数はアンタッチャブルレコードとも言われ、多くのスラッガーが王さんの記録にあやかって背負ってきた番号でもあります。

その代表格はメジャーでも活躍した松井秀喜さん(現ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー)でしょう。
高校時代から甲子園で「5打席敬遠」などの伝説を残した松井さんは背番号55を身に着け、プロ1年目から11本塁打をマーク。「ゴジラ」の愛称でも親しまれています。
2002年にはシーズン50本塁打に到達し、数々の記録を引っ提げてメジャーの舞台でも活躍した日本野球のレジェンドです。

その後は松井さんにあやかって55番は左のスラッガーの象徴に。
広島で首位打者を獲得するなど活躍した嶋重宣さんは「赤ゴジラ」と呼ばれるなど、左の強打者として活躍しました。

現役では秋山翔吾(現広島)が西武時代に55番を着用し、2015年にNPB新のシーズン216安打を達成。スラッガータイプではないものの、左の強打者として君臨しました。

松井秀喜元祖「ゴジラ」。2002年に50本塁打。
最多本塁打3度、日本野球のレジェンド。
嶋重宣「赤ゴジラ」。2004年に首位打者。
T-岡田「浪速の轟砲」。2010年に最多本塁打、本名は岡田貴弘。
秋山翔吾NPBシーズン最多安打記録保持者。広島時代の背番号は9
村上宗隆2022年に日本人最多タイとなる55本塁打(更新中)
プロ野球における背番号55の名選手
NPB歴代シーズン本塁打ランキング(9月18日時点)

脚注

2022/09/18