【選手名鑑・OB】稲葉篤紀/ヤクルト 侍監督務める頼りになる男

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ツバメinfoの選手名鑑。稲葉篤紀は元東京ヤクルトスワローズの外野手。2001年のヤクルト日本一に貢献。日本ハム移籍後は日本ハムの日本一に貢献。WBCでも2009年世界一に貢献した。2017年より侍JAPAN日本代表の監督を務める。左投左打。

基本情報

選手名:稲葉篤紀(いなば あつのり)
利き手:左投左打
ポジション:外野手(ライト、一塁手)
生年月日:1972年8月3日
出身地:愛知県
来歴:中京高‐法政大‐ヤクルト(1994年3位~2004年)‐北海道日本ハム(2005年~2014年)
身長体重(公称):185cm94kg

推定最高年俸

2億5000万円(2009-2010)

背番号

41(1995-2004、2006-2014)

58(2005)

80(2015-)

成績

NPB通算

ヤクルト時代(1994-2004)

11年間

1023試合 (3426打数972安打) 122本 437打点 46盗塁

NPB通算

21年間

2213試合 .286 (7578打数2167安打) 261本 1050打点 74盗塁 OPS.806

獲得タイトル

首位打者(2007年)、最多安打(2007年)

ベストナイン(2001、2006-2009)

ゴールデングラブ(2006-2009:外野手、2012:一塁手)

日本シリーズMVP:2006

寸評

ヤクルト時代の稲葉篤紀
ヤクルト時代の稲葉篤紀(時事通信より)

通算2167安打と日本プロ野球を代表する巧打者。

派手な活躍はないものの、安定した打撃成績と堅実な守備で献身的にチームを支え続けた。ヤクルト時代は2001年にチーム日本一に貢献。日本ハム移籍後は首位打者を獲得するなど、ベテランの年齢になってからも打撃は進化し続けていった。

引退後は報道ステーションのキャスターを務めるなど、幅広い活躍。現役時代から日本代表の常連で、代表チームの打撃チームを経て2017年から日本代表監督を務めている。

イチローとの関連

イチローこと愛工大名電高の鈴木一朗は同じ愛知県出身で稲葉の1個下である。

イチローは小学生の頃バッティングセンター通い、練習をしていた。その時に稲葉はイチローの打撃を目撃しており、イチローもまた稲葉の打撃に感銘を受けていた。

両者は稲葉が高校3年、イチローが高校2年の頃に地区大会決勝で対戦し、イチロー擁する愛工大名電高が甲子園出場を果たした。

その後、稲葉はセリーグのヤクルトに、イチローはパリーグのオリックスに進むことになる。イチローが海を渡りメジャーリーグで観衆の度肝を抜く活躍をする一方で、稲葉も日本を代表する打者として君臨する。

2009年のWBCではチームメイトとしてプレーし、見事日本を世界一へと導いた。

稲葉が引退し、報道ステーションのキャスターとなった後は現役を続けるイチロー(当時マイアミ・マーリンズ)を取材。当該インタビューはニュース番組では異例の10分を超える尺がとられ、野球談議は多くの野球ファンの注目を集めた。

イチローは普段テレビの個別インタビューを受けることはないという。年齢でいうと稲葉が1つ上であるのだが、互いにリスペクトしあえる関係は多くの野球ファンを感心させるとと共に、稲葉の人徳を感じさせる出来事でもあった。

球歴

プロ入り前

愛知県北名古屋市出身。

中京高校では3年時に愛工大名電高に敗れ、甲子園出場はならなかった。当時の愛工大名電高には鈴木一朗(イチロー。当時2年生)を擁していた。

高校卒業後は東京六大学の法政大学に進学。ベストナイン一度などリーグ屈指の強打者であったが、プロ入り当初の評価は高くなかったという。野村克也監督(当時)の話によると、監督の息子である野村克則(カツノリ。当時明治大)を視察にした際に発掘した存在とのこと。

ヤクルト時代

1994年ドラフト4位でヤクルトに入団。同期入団に宮本慎也ら。背番号は「41」。

プロ1年目の1995年に67試合に出場すると、2年目の1996年には規定打席に到達。この年2桁本塁打も記録した。

1997年にも規定打席に達するなど、チームの日本一に貢献。しかし、1998年から2000年は故障の影響で離脱が多く、規定打席に到達しなかった。

2001年には開幕から3番ライトに定着すると、シーズン通して打率.311、25本塁打という好成績で自信初のベストナインを受賞。チームの日本一にも打線の要として大いに貢献した。

2003年は史上56人目のサイクルヒットを記録。2004年オフに海外移籍を視野にFA権を行使。

北海道日本ハム時代

メジャー球団との交渉は難航し、ヤクルトがFA宣言後の残留を認めていなかったため、国内FAを目指すことになる。

当時日本ハムのGMを務めていた高田繁(後にヤクルト監督)から高く評価され、日本ハムと契約。背番号は「58」。日本ハムでは初のFA移籍選手となった。

日本ハムは当時北海道移転黎明期であり、チームメイトの新庄剛志(SHINJO)と共に北海道での野球人気に大きく貢献する。

移籍2年目の2006年からはヤクルト時代の背番号「41」に変更し、この年チーム25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一に大きく貢献した。日本シリーズではMVPを獲得。翌2007年には自身初の打撃タイトルとなる首位打者と最多安打を獲得。

ヤクルト時代は故障離脱が目立っていたものの、日本ハムでは移籍後8年間規定打席をクリア。安定した活躍でチームを牽引し、2009年と2013年のWBCにも日本代表として出場した。

2014年限りで現役を引退したが、現役最終年のクライマックスシリーズにも出場。オリックスとのクライマックスシリーズでは2本のタイムリーを放つなど42歳にして打棒健在をアピール。多くのファンに惜しまれながら現役を引退した。

現役引退後

現役引退後は報道ステーションのキャスターを務めるなど、メディアで活躍。

2度のWBC出場、日本ハム時代には兼任コーチを務めるなどの経歴から、2015年から日本代表打撃コーチに就任した。

2017年からは小久保裕紀監督(当時)の後を受けて日本代表監督に就任した。2020年の東京五輪までの契約見込みであり、延期となった2021年の代表監督も采配をとる予定である。

応援歌♪

歌詞

狙いすまして 鋭く打ち返せ

(かっとばせ!稲葉!)

稲葉篤紀 頼りになる男

「かっとばせ!稲葉!」

MIDI

コメント

杉浦亨応援歌流用。演奏中「かっ飛ばせ!」コールが入る。前奏は「必殺仕事人」。

日本ハム時代の応援歌で前奏の際に飛び跳ねる「稲葉ジャンプ」が有名だが、ヤクルト時代はジャンプしない。

プロスピA評価

2020年OB第2弾で登場。ヤクルトでの登場は2018年以来2度目。日本ハムでも2016、2017、2019の3度登場しており、通算5度出場のプロスピOB常連。

2020年バージョンはパワーがプラス1された。これにより、「大砲」あるいは「怪力無双」でミートパワー同値が実現できるようになった。

現役選手だと雄平と役割とステータスが似ている(弾道やポジションなど)。

プロスピA2020選手能力一覧

プロスピAヤクルト純正攻略TOP

外部リンク

https://npb.jp/bis/players/91193880.html(NPB)

https://www.japan-baseball.jp/jp/profile/201301007.html(侍JAPAN)

http://tsubamegundan.com/information.html (応援歌一覧。全国ツバメ軍団公式)

https://www.yakult-swallows.co.jp/photo (ヤクルト公式フォトギャラリー)

脚注

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2020年11月20日更新
執筆者:yoshi-kky