野村克也さんの追悼記念試合が3月28日、行われました。コロナの影響で1年延長になっていましたが、1年越しに無事開催。
今回は、セレモニーの一部を紹介します。
試合開始前に野村元監督を偲んで、ヤクルト・阪神監督時代の功績を讃えるVTRが球場に流れました。
野村監督のグッズが販売されるなど、球場は野村元監督一色に。
選手も野村元監督がかつて背負っていた「73」を全員が着用としてのプレーとなりました。
試合は開始前にあいにくの雨…
天気予報は午後から雨が強まる予報になっていましたが、天気は回復!無事に、試合が開催されました。
ヤクルト2-8阪神
野村元監督が1994年にデビューしたつば九郎からのコメントがありました。
つばくろうがデビューしたときの かんとくが のむらさんでした。
93ねんゆうしょうのつぎ 94ねんでびゅーの つばくろう。
94ねんちーむの ちょうしがわるいときに つばくろうのせいに されたこと わすれません。
かんとくの よこのせきが たまたま なぜか あいていた とき
つばくろう ちょうしにのって よこにすわっていたら はいごからいきなり さっちーが あたまを ぶんなぐってきて
『どきなさいよー そこ わたしのいすよ』
※さっち=サッチー。野村さんの夫人、野村沙知代さんのこと。
恐妻としても知られており、野村さんからも、選手からも、メディア関連者からも、恐れられていた。
怖いもの知らずのつば九郎もサッチーは怖かった模様。
ぶんなぐられたしかえしを したくて しあいまえの ばずーかーで
やたら さっちーの ところを めがけてうって ごめんなさい。
野球界だけでなく、人間としても選手を育てることを信条としていた野村さん。
数々の名言を残されていましたが、球場でも一部が紹介されました。
「人間最大の敵はなんであるか。それは鈍感である」
野村克也さんの教えや、野村さんが育てた人材は、今なお球界に貴重な財産として遺り続けています。
ヤクルトは苦しい戦いが続いております。野村さんも天国でぼやいていることでしょう。野村さんに顔向けができるよう、シーズンを戦い抜いてほしいです。
2021/03/28
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