[29]ヤクルト歴代背番号「29」一覧|ツバメの出世番号

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02年現在はライアンこと小川泰弘投手が着用している背番号29。

過去には投手、野手、外国人などバリュエーションに富んだ選手が着用してきた29番の歴史を紐解きましょう。

ヤクルト歴代背番号「29」

ヤクルトの背番号29
年度選手名備考
1950山根実外野手
1952~1953小山恒三投手。通算1勝
1955~1961石田雅亮内野手。通算260安打
1962~1963丸山完二野手。通算733安打
1964~1967佐藤進通算50勝右腕
1968大塚徹通算178安打。
何回で野村監督とプレー
1969~1970安木祥二通算33勝左腕
1972~1975久代義明通算66安打
1976~1988芦沢優本名「芦沢真矢」通算84安打捕手
1989谷宏明通算36勝右腕。
近鉄で13年プレー
1990~1994西村龍次通算75勝右腕
1996~1997ブロス通算30勝右腕。
95年最優秀防御率
1998~2001三上真司97年ドラフト1位投手
2003~2005泉正義02年ドラフト4位投手
2006ラロッカ通算123発大砲。
「バントをしない2番打者」
2007グライシンガー07年最多勝、NPB3球団で活躍
2008福地寿樹通算251盗塁。
08、09年最多盗塁
2012小野寺力西武からトレード。
引退後にコーチ就任
2013~小川泰弘開幕投手6度”ツバメのライアン”
ヤクルト歴代背番号「29」(参考:ヤクルト公式HP

1962年から2年間着用した丸山完二さんは立教大学から国鉄スワローズに入団。
ルーキーイヤーに98安打、2年目を102安打をマークすると背番号を「8」に変更。その後は1971年まで現役を続け、1994年までコーチ、1995年からはフロントに転身しスワローズ一筋としてチームの黄金期をサポートしました。

1989年ヤマハからドラフト1位で指名された西村龍次さんは2年目に15勝をマーク。92年に14勝、93年に11勝をマークしてチームの黄金時代を牽引しました。
西村さんは94年オフに吉井理人さん(現ロッテ監督)とのトレードで近鉄へ。その後はダイエーへ移籍してプロ11年のキャリアを送りました。

95年からは外国人投手のテリー・ブロスが着用。1年目の95年に15勝をマークし、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

2007年にはグライシンガー投手が着用。1年目から16勝をマークして最多勝をあげる大活躍でしたが、ヤクルトの在籍は1年限りとなりました。

08年は西武へFA移籍した石井一久さんの人的補償で加入した福地寿樹さん(現広島コーチ)が着用。
広島や西武ではベンチ要員だった福地さんはヤクルトでレギュラーを掴むと2年連続で最多盗塁のタイトルを獲得、一躍チームの中心選手として活躍。
09年には背番号を「3」に変更しました。

そして2013年から現在(2022年)まで着用するのは小川泰弘投手。
創価大学からドラフト2位で加入した小川投手は「ライアン投法」と呼ばれる左足をダイナミックに上げる独特の投法で活躍。1年目から16勝をマークして最多勝と新人王を獲得しました。
その後も小川はチームのエースとして活躍。22年までに通算92勝を挙げており、球史に残る大エースとして存在感を発揮しています。

タイトルホルダー

背番号29を着用してタイトルホルダーに輝いているのは以下4名です。
外国人投手から人的補償によるトレード加入、ドラフトから指名された生え抜き投手などバリュエーションに富んでいます。

ブロス(1995年:最優秀防御率)
グライシンガー(07年:最多勝)
福地寿樹(08年、09年:最多盗塁)
小川泰弘(13年:最多勝&最高勝率&新人王)

価値高まる「エースナンバー」

2020年8月にはノーヒットノーランを達成した小川泰弘投手

ヤクルトの背番号29を付けた選手は実績を残すと若い番号に変更するという傾向にありましたが、現在29を背負う小川泰弘投手は10年間「29」を背負い続けています

最多勝と新人王を獲得した13年オフにはエースナンバー「17」への変更を打診されるものの、これを固辞。

「背番号は選手の活躍によって価値がつくもの」と背番号29の価値を高めることを予言し、見事に有言実行。

21年・22年にはチームを”29”年ぶりのリーグ連覇に導いた「ライアン小川」はこれからも背番号29と共にチームを牽引し続けます。

29貫く!燕・小川、エースナンバー辞退「自分で価値高める」(サンスポ)

脚注

2022/12/31